2018/04/05 11:02

2018年3月11日




東京は今日、温かく穏やかな陽気となった。僕のパートナーは、院生時代の中国人の親友が帰国する為しばらく会えなくなるからと、昨日から女子二人だけの草津温泉旅行に出掛けていた。僕も、たまには一人もいいよね、なんて思いながら家を出た。ここ数日のぐずついた天気から一転、春の雰囲気に人々の顔は明るく、街中が華やいだ高揚感を漂わせていた。沈丁花の甘い香りに誘われて、新代田から下北沢を経て代々木上原へ。そこから更に新宿へと、散歩と言うにはあまりにも長い道のりを一人歩いた。

自由な気分に少し淋しく退屈な気持ちを隠してロースタリーの梯子をした。豆のブレンドなんかを考えつつ、ふっと横にいるはずのない彼女に話しかけようとして苦笑した。

一緒にいないけど、一緒にいる感じ。あるいは一緒にいるのが当たり前な感じ。いつの間にかそんな風になっていたんだなと。


今日は日本人にとって忘れようとも忘れられない特別なメモリアルの日だった。いや、日本人と言うよりも、あの日、日本に居た全ての人々にとってと言うべきか。7年前のあの日、僕は日本に居なかった。交換留学で中国に居たから。“あの日”の話が仲間内や家族で出ても、大災害に遭った国の人間でありながら、“あの日”に対する感情の共有は出来ても、あの日あの時あの場に居なかったという意味で日本にいた人々との経験的共有は無理なのだと毎年思い知らされる。“あの日”留学生寮で遅れて入ってくる情報の中、おたおたとしながら祈る事しか出来ないもどかしさと、自国の有事に何も出来ずに外から見ている罪悪感に苛まれてた。そんな僕を色々な国から集まって来ていた留学生達が慰め支え共に祈ってくれた。政治や経済や宗教の関係がどうであれ、国を越えて人は温かいものなのだ。あの時の各国の皆んな、ぼくの国と人々に対して共に祈ってくれて、そして僕を支えてくれて本当に本当にありがとう。僕はそれを一生忘れることは無いだろう。


あの時僕の側にいて励まし続けてくれた友人の一人で、血の繋がりのない兄として慕っているポーランド人のEmilが、奇しくも今日、某国について経済解説をする為、テレビ朝日に出演をした。大きなメディアへの出演記念日だ。世の中を変えようと、留学生寮で酔っぱらって夢を語り合った日々から早くも7年。彼は着実に夢を形にしている。すごいよ!今日本当に僕は嬉しくて彼が誇らしい。僕も7年間、紆余曲折しながら今日という日を迎え、今、台湾珈琲豆を焙煎している。世の中を変えるというのは若さ故の傲慢さと、無知から出た言葉かもしれないけれど、世の中を変えると言うよりも、人々の心に何かしら手渡せる温かい物を見つけられ、残せていけたらいいなと思いながら、今僕は珈琲豆を焙煎する。丁寧に愛情を込めて一生懸命にやる。

今日という日は誰かが生きたくても生きられなかった大切な1日だから。2018年3月11日、温かいオレンジ色の夕焼けを見ながら、そういう一日一日を生きていこうと、今日を生きたかった人々と7年前のあの日に誓った。

もうすぐ草津から彼女が帰って来る。一緒にいなくても一緒にいる感じだけど、一緒にいられる喜びを大切にしよう。


犠牲になられた方々の御霊の安らかならんことをお祈りします。

#311 #東日本大震災から7年